シク教とは、15世紀にヒンドゥー教徒のクシャトリヤ(武士)階級出身のナーナク(1469-1539)が、ヒンドゥー教の改革運動として、イスラーム教をはじめ当時の西北インド(現在のインド・パキスタン両国にまたがるパンジャーブ地方が中心)に広まっていた諸思想から影響を受けて興した宗教である。 1947年のインドとパキスタンの分離独立により、信者のほとんどはヒンドゥー教徒と共にインドに移り住んだ。一方この時、インド領からはパキスタン領に多くのムスリムが移動することになり、憎悪の念に駆られた両教徒間で暴動が生じ、凄惨な殺し合いの結果、双方に数十万人の犠牲者が出た。この歴史的な大悲劇は今日でもインド・パキスタン関係に深い陰を落としている。 現在、世界中でシク教徒は約2,500万人いるが、そのうち約80%がインドのパンジャーブ州に住み(インド全体の1.9%)、約10%がパンジャーブ州以外のインド各地に住んでおり、残りの約10%が外国に住んでいる。シク教徒が多く住む国は、イギリス、カナダ、アメリカ合衆国である。アメリカには約50万人のシク教徒が住んでいるといわれるが、ニューヨークに何人住んでいるかは分からない(アメリカでは宗教別人口の統計をとることが禁止されている)。 シク教徒といえば、すぐにターバンと髭を連想するが、初めからあのような姿をしていたわけではなく、10代目のグル(師という意味で、教団の長)のゴービンド・シンが、ムガル朝の支配者(ムスリム)から何度も弾圧と迫害を受けたため、シク教団を軍事組織化してから、守るべき掟の一つとして決められたものである。その掟として信者は「5つのKの頭文字 “パンジーカッケー”」という次の5つの物を身につけなければならない。(1)毛髪(“ケース”を切らない)、(2)櫛(“カンダー”を髷の中に入れる)、(3)短いズボン(“カッチ”を履く)、(4)鉄の腕輪(“カラー”を右手にはめる)、(5)短剣(“切るパーん”を携える)。ケースとカンガーは端然とした心意気を表し、カッチは慎みと倫理的自制、カラーは抑制を表現し、キルパーンは威厳と戦いのシンボルである。しかし現在、一般のシク教徒の男女いずれもが守っているのは、(1)(3)と(4)のみである。信仰のシンボルといっても、キルパーンを携えて航空機に搭乗するのは、もちろん禁じられている。ターバンの色に対する規則はない。 シク教徒の男性はすべてシン(獅子)と名乗る(ファーストネームの後にファミリーネームのように。ダルワーンならダルワーン・シンという風に)が、これは勇猛さのイメージを与えるものである。女性はすべてコウル(姫)を名乗る。これは、全信徒が同じ名前を名乗ることによってカースト制度(ヒンドゥー教に特有の生まれによる身分差別)否認を示そうとしたものである。また、厳格な一神教を守り偶像崇拝を否定したことには、イスラーム教の影響があったともいわれているが、このような二元性の否定はインドの思想の伝統の中にもあった。教祖ナーナクが出現した中世の北インドは西方からのムスリムの侵入にあい、政治的に大混乱をきたし、人心も乱れて、下層民を中心にヒンドゥー教徒から多くのムスリムへの改宗者をだした。このような状況下でシク教が生まれたのは、一面では、たがが緩んだヒンドゥー教社会を強固にするためであり、形式主義に陥っていたヒンドゥー教を純粋な宗教へと復活させるためでもあった。 従って、グル・ナーナクはヒンドゥー教の儀式固定主義とバラモン(司祭階級でカーストの最高位)の偽善性は非難したが、ヒンドゥー教そのものを根本的に否定したわけではない。輪廻転生という根本思想は共通である。ただ、シク教は特に瞑想を重んじ、自らの心に住む唯一の実在である神を念じる。その神はイスラームのような超越神でもなく、ヒンドゥー教のような形を持った神でもない。また、ヒンドゥー教では苦行や隠遁が説かれるが、シク教では、誠実に働き家庭生活を営むことで解脱できると説く。労働を尊び、正直に稼ぐことが信仰の実践に繋がるわけで、この点でインドの宗教の中で最も物質的な宗教であるといえる。物質世界を容認したキリスト教と通じるところがある。本国で大学教授をつとめたほどの人物がアメリカでタクシー運転手をするということは、ヒンドゥー教ならまずありえないだろう。 「シク」とはナーナクにはじまり、10代続いたグルの弟子という意味である。サトグル(真のグル)とは内在する神のことをいう。グル達の御言葉(パーニー)が経典『グル・グラント・サーヒブ』である。また、シク教の寺院はグルドゥワーラー(グルの入り口)と呼ばれる。シク教徒のコミュニティーのあるところには、必ずぐるどぅワーラーがあり、ニューヨークだけでも10以上、クイーンズだけで7〜8ほどある。グルドゥワーラーには経典『グル・グラント・サーヒブ』が安置されているが、聖職者はいない。10代目グル以降は人間のグルはいなくなり、この聖典がグルとされる。礼拝と瞑想と経典朗唱(キールタン)が中心で、楽器の伴奏で楽師が歌うことが多い。礼拝の後、信徒が奉仕で作った(パンジャーブの菜食)料理を全員が会食するランガルという、他の宗教にみられない重要な習慣がある。これは、富める者も貧しき者も同じ席で食物をとることによって、カースト制度を破るという意味がある。飲食の忌避の厳しい(たとえば、高カーストの者は、低カーストの者が作った料理を口にしない)ヒンドゥー教では、考えられないことである。早くからシク教徒が海外に進出した背景には、ヒンドゥー教のような行動の制約から自由であったこともある。シク教団は歴史的に過酷な弾圧を経験してきているので、信徒たちの一体感・団結心は強い。1980年代には、パンジャーブ州でシク教徒の一部過激派集団がインドからの独立と彼らの国「カーリスタン」を創ろうと企て、その運動を支持する海外在住のシク教徒達からも送金があったという。本国では、警察による無実のシク教徒のでっち上げによる逮捕や拷問もあったとされる。この運動は結局1983年に、彼らが籠城したアムリトサルにあるシク教の総本山ゴールデン・テンプルの境内に、当時のインディラ・ガンディー政権が軍隊を突入させて制圧することで終息した。しかし、神聖な進行の本山が軍隊に踏みにじられたことが一般のシク教徒たちに与えた衝撃は大きく、過激派だけでなく、一般のシク教徒たちもインド政府に反感を持った。ついには、インディラ・ガンディー首相がシク教徒の警護の警官に暗殺されると、怒ったヒンドゥー教徒の一部が暴徒化して罪のない一般シク教徒を襲撃し、デリーだけで千人ほどの犠牲者を出した。 結婚は同じシク教徒同士であることが一般的だが、例外的に異教徒や異民族との結婚もある。その場合でも相手にシク教への改宗を求める。 9.11事件の後、ターバンに髭という彼らの外見が、アラブのテロリストと間違われて、アメリカでシク教徒一人が殺されている。空港で必要以上の厳しいチェックを受けたり、軍隊に応募できない等の差別に対して全米シク教徒連盟はシク教徒の人権保護のための運動を行っている。大部分の米国市民たるシク教徒は真面目に働き、暮らし向きも総じて良い。 |
溝上富夫 大阪外国語大学名誉教授(現代インド・アーリヤ諸語専攻) |